いくつかのメモ(2022年ブログのアーカイブ)
はじめはインターネットの空間に、階層、HPに古い空間、階層、HPがみられないかを考えた。インターネットのドメインや、プロトコル、サーバーには規格の変化によって使われなくなったシステムが多数存在している。
しかしインターネットは現実と違って、物理的な空間を共有していない。
例えばクロップマークの場合、情報はその土地に保存されている。インターネットの場合は、基本的の情報はそのサーバー、コンピューター内に保存していると考える。しかしデジタルデータの場合は空間は仮想的な物であり、基本的には情報は保存されない。
初期のインターネット空間の痕跡が現在のインターネットに残っている可能性は少ない。
httpは複数のリンクの組み合わせによってできているが、古いリンクを辿ろうとしても既に削除してしまったホームページにはもうアクセスできない。
インターネットアーカイブなどのサイトも、元の空間とは別のドメインにコピーしているため、ソイルマークのような、時間的な蓄積はなく、バラバラに分解された映画のフィルムのようなものになっている。
ここまで調べて、インターネット空間に過去の情報が直接的にゾンビ化して表れることはほぼ不可能なのではないかと思うようになった。
いくつかのメモ
インタネットはときたま生きているように見える。
それは、都市に対して感じる印象と同じだ、新宿駅地下の複雑な立体構造とインターネットには共通の自己組織化構造を感じる。
都市の位相、生命の位相はそれぞれの代謝の循環によってなされている。異化と同化の連続、自らを壊し、作り替え、それでも構造の連続性を保った存在。
それでは、インターネットにも動的平行はあるんだろうか。もしあるとすれば、その代謝の循環に何かしらの痕跡を見つけられるんじゃないだろうか。