物語の分析メモ「列車と棺と死と新生」

・銀河鉄道999では貧しいもの達は生身の体で生きる。まともな暮らしは出来ない。皆機会の体に憧れ、無料で機会の体が貰える星へ行くため、999に乗りたがっている。

・二度と帰れない列車=死=人生の不可逆性

・銀河鉄道の夜 旅立ちの日 イニシエーションとしての列車 棺▶︎けいおんの劇場版 少女終末旅行 棺桶 エコール 死と新生

・少女週末旅行では列車を棺桶のようだとチトとユーリが話す

生まれ変わること それはいいことなのか?

永遠の命 大人の体。映画版銀河鉄道999では鉄郎はある程度成長してから地球を離れる。メーテルは鉄郎に対し、「次来るときは生身の身体ではない。いつかきっと嫌な記憶も懐かしくなる時が来る。もっとみていればよかったと思う時が来る。」と話す。地球は鉄郎の幼年期の象徴になっている。 多感な少年時代から、死へ向かう列車に乗せられ最後は機械になってしまう。これはエコールで、多感な少女時代から、列車に連れられ性の世界へ連れて行かれることと共通する。

僕たちはよく、自分の学校生活について、親のレールを歩んでいる、という例えを使う。

列車は、レールは、自由を失い決められた路線を進み続けなければいけなくなる。その状況を指す。

僕たちが目指すもの、みんなの欲しているもの。それは本当に良いものなのか。

社会的な欲求はメディアに導線を引かれているだけだとかんがえる。

そこでふと、シンエヴァンゲリオンのポスターを思い出す。線路が伸びていた。列車のさった後、もしくはこれから来る列車を待つ。

シンエヴァンゲリオンは全て駅が拠点になっていて、村の人たちが暮らしていた生活スペースも駅の関連施設と列車を利用したコンテナだった。物語の最後、シンジは駅のホームで待つ。そして待ち人がきた後、手を取って駅の向こう側、現実へ走り去っていく。

ここでもまた、レールの上を走ってきたシンジが、レールの外へ出て、新しい自分の物語へ帰還していくことを意味すると思う。

(千と千尋の神隠しでも、物語の始まりと終わりは駅であり、湯屋の女性ははいつか列車に乗れる日を夢見ている)

地下鉄サリン事件を題材にした輪るピングドラムもまた、物語が進むごとに列車が進むような演出がある。死ぬはずだった人が生き返り、そして列車は少しずつ進む。

その他雑感

映画版の999はワンピースに近い。主人公は大海賊の息子だが、本人は知らず、だがその大海賊に憧れている

love robot deathでは永遠の命を得た者達は生殖を嫌う

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