嘘から始まる非現実

ネタバレ含みます。

偽りが物語を生む。物語は、嘘の終わり。

2023/2/4

久しぶりに花とアリスの実写を見た。頭を打った先輩に、私たちは付き合っていました。私のこと覚えていますか?・・・覚えていないんですね、あなたは記憶喪失です・・と言って物語が始まる。そしてラスト、ウソがばれて終わる。しかし、完全に現実に戻るのではなく、元とは少し違った現実へ。嘘から出た真とはああいうことなのか。

記憶媒体が揺らいだ時、それは他者の願いを投影するメディウムに変質する。それが可塑性を維持する間に物語が駆動し、記憶媒体が元の形状を取り戻し膠着したとき、物語は終わる。

そこで思い出したのは、半地下の家族という韓国映画だ。あの映画でも主人公たちは身分を偽って始まり、身分がばれて逮捕されて終わる。そういえば、花とアリスでも花は山本君に逮捕される夢を見られていた。

しかしそもそも「半地下の家族」の場合は、始まりの嘘は別にあった。冒頭、運命を運ぶ岩が友人から渡された。その友人の紹介がすべての始まりだったのだが、そもそもその石は偽物だった。ラストシーンで水の中に石が浮かぶことで、あれが質量のない偽物だったということが明らかになる。-しかし殺人のシーンではまるで水に浮かぶ石とは思えない質量を取り戻し人をぶつ鈍器へ変質する。-三島の漫画の中で異性は質量をもった残像と記された。

半地下の家族はラスト、少年の想像のシーンになり、あり得るかもしれない可能性の世界が描かれ虚構で終わる。

押井守作品ではご先祖様万々歳にしても、ビューティフルドリーマーにしても、劇、虚構、夢、嘘から始まり、嘘に嘘が重ねられ辻褄が崩壊していき、現実がひきづりだされていく。

ただここで無というものに対しての踏み込む度合いが芸術とエンタメでは全く違う。

芸術は容赦なく無へ踏み込み、社会通念の全く通じない領域へ進んでいくが、喪失から無を描くエンタメはあくまでそれを商品というパッケージとして社会の内側へ配置する。それが外へ出ることはない。

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