久しぶりにムサビの大学美術館へよる。
大辻清司のことは知らなかったんだけど、経歴を見ると戦後の日本美術の中心で、美術作品の撮影をずっと担ってきた作家だということがわかった。大辻さんの生涯の年表は、名だたる戦後の美術家との仕事がびっしりと詰まっていて圧巻だった。あの「位相ー大地」も大辻の仕事だし、この前このブログで紹介した牛腸茂雄の写真集へ添えられたテキストは大辻によるものだったらしい。
10代の頃に芸術系の雑誌を、全巻買い込み熱中。そして写真の仕事をするようになったよう。入口に入ってすぐ、大辻の自作のカメラが置いてあった。クリエイターが自分で自分の道具を作るのはなんだかグッとくる。
会場内では一切の写真撮影が禁止だったのだけど、大量の写真の一枚一枚に長いテキストがついていた。どのテキストもよく、全部見ていったら1-2時間ほど会場に居座ってしまった。
テキストは大辻についての物だけでなく、そこに映された芸術家や作品につてのものがたくさんあり、大辻の写真を通して戦後の文化史を追うようだった。一部をメモしたため、いくつか紹介したい。
会場内の様子は、以下のサイトに撮影禁止の場所まで詳細に記録されている。
写真家の眼差しから捉えるアートアーカイブ—— 展覧会「生誕100年 大辻清司 眼差しのその先 フォトアーカイブの新たな視座」村井威史 : ギャラリー ときの忘れもの (livedoor.jp)
「遠いギリシャ、ローマの野外劇場は暁から始まった。日の出前はまだ薄暗いうちから待ち焦がれた民衆は劇場の外に集まった。今の野外での集まりは、人々は日の沈む夕暮れから集まり始める。人間が火を発見し、光を自分のものにし得た時、人類の文化が始まったと思って間違いない。悟性と経験の世界である昼が終って、夜の闇を迎えた時、小さな自分の家に閉じこもった。しかし最初は昼の太陽に比べた時あまりにかぼそかった光登火も今は昼をあざむく燭光にまで揚棄されて来た。今わたくしは夜の闇をカンバスにして縦横に光を駆使できることを夢みてアイーダのプランを練っている。」
今井直次「野外の光」「アイーダ」プログラム1958年 8月
国立競技場での野外公演。照明を担当した今井は公演プログラムでこう語った。
ここでは暗い屋外で光に照らされる演者たちの写真が飾られていた。
(狛子木の音が3度なつて幕が上がる。真暗い。ややしばらくして前幕の左手の上に、小さな三角形の街燈がともる。7号〈7〉とかいてある。前舞台を照明の光がてらす。白い光線の中に、じっと身動きもしない娼婦の姿が浮び出す。右手の闇の中に。航海者は身体を壁にもたせて、女を凝視している。しばし沈黙が続く。)
航海者 誰を待つているんだい?……
女 お前さんをまつてるの。…お前さんをね。でなきゃ他の男(ひと。)
…お前さんは誰を探しているの?
航海者 お前さ。他の女でもいいんだがね。
シモン・ギャンチョン、小松清 娼婦マヤ 白水社1950
舞台の撮影写真もたくさんあった。ここでは物語、コンセプト等がテキストに書かれていた。
顔の中の旅
人間の顔というのは、人間の内部と外部とを結ぶ、通路のようなものだ。
その通路の、通り具合が、いわゆる個性と呼ばれるものであろう。そこでもし、その通路、すなわち顔が、取り替え自由なものだったら、どうなるか?
阿部工房「実験映画のシナリオ」芸術新潮 11巻3号 1960年 3月 230p
声 人は誰でも、自分だけの顔をもって生まれてくる。人はその顔を通じて生き、その顔の内部で死んで行く。顔は人生のパスポートだ。
「顔の中の旅・実験映画シナリオによるフォトストーリー」芸術新潮
最後のスペースには、定点カメラのように街の路地を撮影した実験映画「上原2丁目」があった。
同じ作品が、この前まで国立近代美術館のコレクションでも流れていたので見た人は多いだろう。
大辻清司という難問 – 東京国立近代美術館 (momat.go.jp)
近代美術館の時はガウディを見て疲れて最後まで見れなかったが、今回は全部見てみた。
少し昔の日本で、おばあちゃんや小さい子供、仕事の車等が行きかっていた。
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