-以下、3月ほど前に書いたルソーの絵についてのメモです。
先日、「もっと知りたい佐伯祐三 生涯と作品」という画集を見て、一つ気になることがありました。「立てる像」(1924)という絵があったのですが、ルソーや松本竣介(1942)の絵にも同じ構図の絵があります。また、作家の名前が思い出せないのですが、同年代の別の日本人画家にも同じ構図の絵を見た記憶もあります。
–立てる像google検索
調べたところ、どうやらルソーが起源となり、当時の日本人画家が影響を受け、日本でルソー風の作 品がたくさん描かれていたようです。
当時、日本人の画家は白樺という雑誌の紹介により、後期印象派以降の作家、ピカソ、マチス等に憧れを持ていました。パリへ留学した藤田嗣治はピカソの紹介でルソーの絵を見て、あまりの自由さに驚きます。そして、自分の美術学校時代の絵具箱を床にたたきつけてしまった、と藤田は語っていたそうです。これが本当にあったことなのかは不明ですが、藤田の中でいかにルソーの存在が大きいかがわかります。
藤田をしたって日本から集まった画家たちにルソーの話が伝わり、そこから日本国内へ伝播します。ルソーの絵ではパースのずれや、小人のような人間のシルエットが特徴的ですが、当時の日本人の絵にも同じ特徴は現れています。
佐伯の絵はちょうどそのルソーの絵が日本で流行っていた時期に描かれたものなので納得なのですが、松本俊介の絵はルソーブームから20年ほど経ってから描かれています。本人もルソーについて特に何も言っていないようなので、一見松本俊介はルソーとは関係が遠いように感じます。
しかし、松本俊介の書斎にはルソーの画集がおいてあったようで、そこから影響を受けていたようです。松本俊介は、当時の有名な日本人画家も招いて美術雑誌を出版していて、言葉で作品を語ることにも情熱を注いでいたようですが、ルソーについて描いていなかったのは不思議ですね。もしかしたら、誰にも知られずにこっそり真似したいという気持ちもあったのか、当時の周りのルソー評価と乖離があり言えなかったのか・・・等妄想してしまいます。
また、ちょうど先日、吉祥寺美術館で片山健の油彩画展を見ていたところ、1枚だけ運河を囲む石レンガの街の絵がありました。そして、その脇を歩く人影のシルエットがまさにルソーの絵なんですよね。片山健の他の絵では日本らしさがあるのに、その絵は明らかにパリに似た街並みでした。
今の日本の美術の世界って、ちょっとコンテンポラリーによりすぎたり、かっこいい絵画が売れてたり、そういう印象があるんですが、イラストレーションに形を変えて生きている絵画もあると思いました。
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