「ふたりの人 ふたつの時間」を見た

今日はkayoko yukiで井出 賢嗣さんの「ふたりの人 ふたつの時間」を見ました。

小さくて可愛らしい作品群。2コマ漫画のイメージらしく 、2つの反復されたかたちの間に流れる時間を想像した。作品の素材になっている小物がギャラリー内に保管されていた。旅行の時のタグ、子供の玩具の部品。どの作品にも個人の記憶が刻まれていた。とても良かった。

僕がこの作品を見ていて思い出したのは、ジャコメッティのno more playだった。ジャコメッティは細長い人物像が戦後の人間の実存を表現していることで有名だけれど、それ以前はシュールレアリスムの作品を制作している。

彼はみんなで集まる酒場に設置されたボードゲームを参考に、小さいインターフェースのような、真っ白い板状の作品を多数制作していた。僕はあのシリーズが大好きで、大学生の頃オマージュのアニメーション作品を作ったり、レポートでエヴァンゲリオンの人物関係とジャコメッティの作品内での家族の扱いの類似性についてレポートも書いたりした。

彼の作品は、人間の無意識の交錯による界面反応、人と人との関係のインターフェースを視覚化していたと思う。

今回見た井出さんの作品は、彼の子供との関係や記憶も関わっているのだろうけど、公園のインターフェース具合がジャコメッティの作品に対して、緩やかな繋がりを感じた。

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展示
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