久しぶりにリップヴァンヴィンクルの花嫁を見た。
物語を見て思ったことを書く。
時間を空けて見て、怖い印象が薄れた
初めて見た時は、ただランバラルが恐ろしく、主人公の流され具合に恐怖して、悪い意味で違和感が強く残っていた。それでも全体の造形の良さで好きだったから改めて見たのだけど、、。
そして今回見て、ランバラルは無機質であっても、いろいろなことを叶えて最適化していく活性剤のようなものに感じて、前よりも肯定的に見ることができた。(コジコジは無意識に世界によく働きかけるし、撲殺天使ドクロちゃんもどんなに天然でもやっぱり人と人を結びつけている。)
主人公はもし、ランバラルに出会わなかったら、離婚もしていなかったかもしれない。
いつまでも流される人生、自分の自由意志を持たず、結婚して、それから、どうするんだろう。
ランバラルに導かれたとき、あれは、誘導されているように見える。意思を持たず、流されるだけに見える。
でも主人公はずっとプラネットというSNSで意思表示をし、ランバラルとの距離を自分から詰め、自分で唯一選んだ道でもあったと思う。あのまま何も決められず、意思を表せない日々を過ごすよりは、一度当たり前の人生を逸脱させられることで、主人公は少しずつ自分の意思の存在を感じ取れるようになっていく。
2時間程の物語、前半後半で2つの流れを感じた
前半の家族破壊は、押井守のご先祖様万々歳で、後半の二人の出会いは、山本直樹の破戒を感じる。
この2つの物語は、詐欺師がとある男女関係に近づき、役者として演じて理想的な生活を夢見せた後、それを破壊して消え去っていくという点で非常に似通っている。
ランバラルという虚構
ランバラルは複数形として存在する。役者であり詐欺師であり、色々総じて虚構を演じている。彼は物語の監督であり、複数性のある、影の中に生きる、物語を支える黒子。うる星やつら劇場版2の無邪気もまたそういう存在だったと思う。時には監督、時には演者・・。人を夢の芝居に誘い込む妖怪。
主人公がランバラルと出会った場所はインターネットで、ラムが無邪気と出会ったのは水族館だった。押井守映画では魚とその水槽はよく仮想的なものとして登場する。攻殻機動隊の冒頭シーンや、天使の卵の魚の影だ。触れることのできない影と対話する場所としてネットと水族館は同じだった。
虚構と現実
初めは全部嘘だったけど、嘘から作られた生活がだんだん実感を伴って行って、だんだん本当のことになっていく。不思議な感じ。嘘と現実が入り混じる世界は、どこか錯覚や幻、夢を伴うものが多い印象だったが、この映画では現実的な要素のみで虚構が成立しているのがよかった。
コメント