鎌倉へ行った。内陸部の斜面に点在する人口洞窟と胎内回帰をめぐる。

土日に一泊して鎌倉を歩いてきた。6年前に、松本俊介の展示を見に行ったぶりだ。

鎌倉は昔幕府があった場所だが、片方は海、もう片方は山に囲まれ、防衛がしやすい地形だったそう。

今まで海側は見ていたけど、山側はあまり知らない。調べてみると、山の斜面を掘ったやぐらや洞窟が点在していた。はじめはホラー映画の呪詛の世界を体験したいという気持ちで洞窟を巡りに行ったけど、思いのほか、自分の関心と歴史のつながりを体験できる機会となった。

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田谷の洞窟へ

最初に行ったのは田谷の洞窟。鎌倉から4駅ほど手前にある、大船駅からバスで行った場所にある。

洞窟内は撮影禁止だったので、中の様子をテキストで記録しておこうと思う。

蝋燭を持って歩くのだが、センサーライトがあちこちに設置されている。壁には貝がたくさん埋まっている。土も脆く、ここは昔海の中だったのかもしれない・・。

入ると人が3人ほど並べる幅の廊下が続き、開けた部屋につながる。はじめはカマボコ型のしっかりとした廊下だったが、奥に進むと徐々に狭くなっていった。また、基本は一本道なのだけど、脇には封鎖された通路が多数分岐していて、まるでアリの巣のようになっている。途中封鎖された通路の隙間にろうそくを当てても奥は見えず、iphoneのライトをマックスにしても奥は見えなかった。もともと携帯していた懐中電灯があったので、それで照らすとようやく奥が見えた。探検している感じが楽しい。

これは江戸時代に描かれた洞窟内の地図

いくつかの部屋は教会みたいに、天井は丸いドームのようになっていて、そこに曼荼羅が彫られている。あとは漢字や、12干支や竜など。昔は参拝者が込み合っていたのか、人が座れるような凹凸のある廊下もあった。

さらに地下へ

また時折廊下の下に、真っ黒い穴がさらに地下へ伸びている。まだ深い階層が続いているかと怖くなったが、マップを見ると通気口のようだった。

300m進み、そろそろ終わりかと思うと、さらに下の階層へ降りる階段がある。地下から天井を見るといくつか縦穴があり、さっきの通気口とつながっている。

以前カッパドキアについて調べた際も、やはり地下での生活は空気の循環を設計することが重要なようだった。炭鉱などでも、空気が正常かどうか、インコを連れて行ってセンサー代わりにしていたとも聞く。

洞窟内では特に換気扇なんかが回っている様子もなく、たまに怖くなるが、息もできているし、ろうそくの炎も燃えている限り酸素もあるということだ。ただ、狭い空間で蝋燭の煙をたまに吸ってしまう。

ラスコーの壁画が描かれていた洞窟では、松明をともすとそのために洞窟内の酸素が失われ、人が呼吸することができないらしい。にもかかわらず、暗い洞窟でわざわざ火をともし、壁に絵を描き、それを照らし、酸素がなくなってまた出ていく、そういう繰り返しで描かれたんだろう。わざわざ呼吸のできない洞窟で書くのではなく、地上の壁に描けばいいのに、なぜそうしなかったのか。鎌倉で異様に洞窟寺院が多いことからも、やはり儀式的な魅力がこの地下空間にあるのだろうかと思わせる。

以前講義で聞いた話では、洞窟は子宮を表し、イメージを産み落とす場として機能したようだ。松明を照らし、その明滅によって、絵が点滅し、animateされ、生命を帯びる。

洞窟内の生物

階段下の空間は地下水が染み出し、菌類が繁殖していた。

廊下の脇に水路が流れていて、まるでナウシカが自室の地下に構えていた菌類の研究室のようでもある。

あれは粘菌なのだろうか。洞窟内の壁面を支える木の板に50㎝程にも広がる大きな組織上の菌糸が伸びていて美しかった。それらは血管のような見た目で木片の端まで伸びると、さらにそこから空中へのび、今度はふさふさの綿毛のように見た目が変化していた。

洞窟内に初めは生命を感じていなかったが、奥へ行くと気温の低さから結露した水分や、地下水が壁に染み出し、設置さてているLEDの周りに苔が増殖し、そこに5㎜程のムカデのような生き物もいた。水路部分も見てみてが、何本か生き物が這った跡のような線はあるものの、動いている生き物は見えない。また、初めて見たのだけど、カマドウマは地下部分だけでなく入り口付近にも多数這っていた。これは他の洞窟に行った時にもいた。

洞窟最深部でお祈り

田谷の洞窟の地下一番深く、水があふれ出る場所に、カメの彫刻と、人型の仏様のような像があった。右手・・?で地下水に触れ、そのまま自分の体の中の病のある部分に触れ、「南無大師遍照金剛」と唱えて合掌すると書いてあった。

北鎌倉から鎌倉へ移動。切通しを通り、次々と現れる人口洞窟。

さっき言ったように、鎌倉は、海と山に囲まれている。大船から再び電車で2駅ほど行き、北鎌倉で降りた。ここには山の傾斜が広がっているのだけど、鎌倉の中心部へ向けて、切通しという通路が伸びている。観光客のほとんどは、付近の別の寺に歩いていき、切通しには人はあまりいなかった。ちょうどアジサイの季節で、人気スポットがいくつかあるようだ。が、今回はそこはスルー。

切通しは人の手で削られた、山の断面だ。こうして都市の中心へ行く道がいくつかに制限されていることで、敵が侵入するのを防いでいたんだろう。

切通しを抜けると、鎌倉駅方向まで平地が続く。ところどころ山の尾根が伸びて細かい起伏が住宅街にまで入り組んできている。見回すと、住宅の後ろが崖になっていて、敷地内に洞窟がある家がいくつも見えた。洞窟部分を普通に木材の保管に使っている住宅も見える。もともとは鎌倉時代に掘られたものなのだろうけど、それが普通に住宅の空間に入り混じっているのがちょっと奇妙な景観。

住宅街の中にあった小さな櫓の通路には、石臼が使われていた。田舎の廃墟にいくと、たまに地面に石臼が埋まっている。

住宅街を進んで10分ほど。

英勝寺につく。ここにも洞窟がある。

中へ入ると小さな小部屋がある。

すぐ先で段を上ると出口だ。

なんだか、胎内回帰のような・・・。さっき田谷の洞窟で、読めなかったけれど、ある部屋に胎という感じが使われていたのをみてからずっとそのことを考えている。そういえば、京都の清水寺で、真っ暗な通路を通る場所を思い出した。寺の中に入ると、いっさいが見えない暗闇になり、ただ通路を通りぬけ、再び光の世界へ戻る。どういう意味だったんだろう、あれは、生まれ変わるような・・。

洞窟と胎内巡り

改めて調べると、清水寺のあの体験、あれは「胎内めぐり」というらしい。田谷の洞窟内部には四国八十八カ所霊場と書かれた部屋があった。

88か所をめぐる際は円を描いて回り、最後に始まりと終わりの地点を結んで一つの循環になるようだ。これを太陽の循環にも見立て、農業の豊作を祝う意味もあるとか・・?それだと、途中住宅街にあった石臼。あれもこの周辺にかつて広がっていた稲作農家のものであり、彼らは洞窟へ行き、そこでの循環と、農業、太陽の循環を祈っていたかもしれない・・。

そもそも88か所霊場とは?と思いさらに調べてみる。弘報大師空海にゆかりのある寺のことなのだそうだが、空海という名前の由来が興味深い。空海が修行した洞窟からは、空と海しか見えないという。

まるで暗い部屋に浮かぶディスプレイのよう・・。

空海 洞窟 – Google 検索

ラスコーの壁画では壁に絵を描いたが、空海は穴から見える光の景色にイメージを見出したのか。

この図像は、以前東京都写真美術館でやっていたイメージの洞窟に非常によく似ている。

田谷の洞窟の地下最深部で唱えた「南無大師遍照金剛」とは、どうやら空海をたたえる言葉のようだった。感覚的に想像していた洞窟、イメージ、胎内回帰、の結びつきは、実際に歴史的につながりがあったことがわかってよかった。。

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