オペラシティで野又穫「想像の語彙」を見た

昨日はオペラシティ・アートギャラリーへ行って野又穫さんの個展「想像の語彙」を見た。具象的な絵を描く人の展示をしばらく見ていなかったのだけど、実際に見に行ってみてとてもいいと思ったので、ここで思ったことを記録しておく。

【プレビュー】「野又 穫 Continuum 想像の語彙」7月6日(木)から、東京オペラシティ アートギャラリーで
架空の光景とひと言で片付けられない、現実と地続きにある非現実とでも呼べばいいような独特な構築物を描いてきた野又穫のまたみ...
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大地

初期作品は石造りの重々しい古典的な建築が描かれていた。緑にむしばまれた静的な巨石、古代遺跡のような印象。

上の階にあるコレクション展では武蔵野美術大学の川口起美雄先生の作品と近くに並べられていた。川口起美雄先生は古典絵画を研究していて、初期作品に野又さんのように建築物がどんとおかれた絵があったと思う。そういう類似がある。

建物の硬い質感が描き込まれている。

僕は元々野又さんの作品にはあまり興味がなかったけれど、知っている作家が良い展示だったとsnsで言っているのを何度か目にしたので見に来ていた。古典的な重さには苦手意識があって、最初の展示室ではピンとこなかった。

空を飛ぶ夢

しかし、次の部屋の展示室へ行くと、建築物も、色彩も軽やかになり印象が変わった。建物は風を感じる構造物が中心に。

この絵を前にすると、大気の、風の音が頭の中で聞こえてくるようだった。風の力で動く巨大な風車のきしむ音までも、自然と想像してしまう。

これらの構造物は一見風車に見えても機械的な部品は一切描かれていない。発電機のような実用的な機能は持っておらず、そもそもこんな華奢な作りで巨大な構造物が作れるようには思えない。どれも、想像上の巨大な記号、自然の運動を視覚化する巨大なキネティックアートのようだ。

まるで植物の種子のようなかたちをしている。今にも空に飛び立ちそうな造形と、重々しい色彩と地面に根差した建築の不動さがぶつかり合って、絶妙な感覚になる。背景に雲があることも、この大きな構造物の持つゆったりとした時間の変化の指標になっているように感じる。

空を飛ぶ建築は可能なんだろうか。この絵では帆は風を感じてなびいているのに、建物はびくともしない。きっとずっとそこにいて、これからもずっとそこにいて風を感じ続けて、それでも動くことはない。まるで、建物自身が、空を飛ぶことを夢に見て眠ってしまったみたい。

会場内には、バベルの塔のような巨大ビルの絵もあった。ビルには見たことのない言語が描かれていたが、バベルの塔崩壊前の、人類の分断前の言語なんだろうか。あの絵には空へのあこがれと虚しさを感じる。

どの絵も地面が画面の下にぴったりと位置していて、建物にはほとんどパースがついていない。それはこれほどの巨大な物体を、ものすごく遠くから見ていることを意味していて、建物には大気の色も交じっている。その距離の遠さも、決して触れることのできない想像の世界への憧れ、この建物たちの実現不可能性を表しているようだった。

この絵たちは、人が描かれていないのに、人の存在を感じる。人間の欲望が建物の造形だけではなく、絵の枠、視点の中にも描かれているのかもしれない。

展示会場で絵の写真を撮るときも、実際に僕がその場所にいて、カメラを通して遠くから覗き見ているような気持になったのも、そのせいなんだろうか。

亡霊

会場の最後の部屋には表現主義的な画風が多くなって驚いた。

メタリックで角ばった都市は、まるで大きな石棺のようだった。光を媒介する夜の都市も多く描かれ、そこには自然の力学とは別に、情報として、光の幻として存在する亡霊の都市が映されているように見えた。

情報化した都市は物理的な存在を持たず崩壊することはない。巨大な石棺のようなビルも、存在することをあきらめ、死後の世界に生を託すピラミッドのような、仮想世界を思い描くための装置のようにも思える。

そう考えると、空を夢見る不動の建築物が、都市化する中で情報として想像の世界へ飛び立つ過程のようにも感じた。

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展示
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