豊田市美術館で「吹けば風」を見た

先月、愛知県にある豊田市美術館へ初めて行った。

僕は以前、津田大介が企画していた愛知トリエンナーレを見に名古屋まで来たことがあったのだけど、一日で回ろうとした結果名古屋市美術館周辺で終わってしまい豊田市までは行けず。それ以来の愛知だった。

豊田市駅の目の前の図書館のビルに、今回の展示に合わせて出展作家の澤田華さんの映像作品が2点展示されていた。図書館内に入った場所に一つ流れていて、まずそれを見てみた。

はじめは、特に何を撮っているのかもわからない、風景、日常の断片、特にそれが何というわけでもないようなものが淡々と流れていて、キャプションもなく退屈で全部で17分・・・最後まで見るのか…?という気持ちになった。

しかしよくよく見ていると、これはカメラで撮ってモニターにプレビューされている様子をさらにカメラで撮影した入れ子構造だということがわかって、妙な感じだ。

一度澤田華さんについて検索してみる。すると今回の展示に合わせて豊田市美術館から澤田華さんの作品についてのレポートが出ていた

111 (museum.toyota.aichi.jp)

これを読んでみているうちに、確かに、なるほど、と思ってぼんやり眺めてみる。

すると突然、映像が終わるのだけど、今まで見ていた足場を崩される。はしごを外されるような、え!?と驚くような、そんな終わり方だった。その演出で、自分が見ているものが現実なのか、虚構なのか、確かさが失われてしまう。

現代のテクノロジーとメディアに囲まれて、虚構のあふれかえった都市の様子が表現されているように感じた。

これはもしかするとすごくいいかもしれない…。

もう一つの映像はどこだろうと探したが見つからない。図書館スタッフに聞くと、わかりづらい場所にあって外に出て、建物壁面のガラス窓の中にあった・・。

外の景色が反射してしまって、そもそも存在が見えない。しかもこのすぐ左には広告用のモニターが作品と全く同じように置いてあって区別もつかない。僕以外には、誰も作品に見向きしている人はいなかった。

一見雑な設置にも見えてしまうが、さっきの映像を最後まで見てからこの作品をみると、まるで映像が、都市に擬態しているように見えた。

このイメージの氾濫の中に、僕は、攻殻機動隊を筆頭とする押井守の演出と同じもの感じ始めていた。

押井守の映画では、メディアの作り出す虚構と現実が、光の移り変わりで曖昧になっていく。目の前の物は本物なのか、メディアの中にいる自分は偽物なのか。板挟みになって分裂していく自分。そして更に情報化された虚構の都市で起きるサイバー戦争は本当に戦争が起きているといえるのか‥、社会全体の虚構性にまで広がっていく。

押井守作品

攻殻機動隊の冒頭では主人公の草薙素子の部屋に魚が泳ぐ水槽が見えるものの、すぐにパッと外を映す窓に変化する。窓はディスプレイで、魚はただの映像だったことがわかる。天使の卵でも街には巨大な魚の影が落ちているが、実体はない。パトレイバーやビューティフルドリーマーでは水族館の窓ガラス前で話すシーンがあり、どこか夢のような怪しげな雰囲気が漂っている。


押井守作品
澤田華作品

澤田華の映像の中でも水族館の魚が、それが実態なのか映り込みなのかもわからない曖昧なたたずまいだった。

会場外の無料の展示でもここまでいいなら美術館の中はきっともっといいんだろうと、楽しみになってきた。

そこから10分ほど歩くと、豊田市美術館へつく。

豊田市美術館は、今まで行った美術館の中でも群を抜いて美しい場所だった。

コンクリート製の外壁は、窓の部分がぺらっと付箋のようにめくれた造形をしていた。

入口もシンプルで四角い形が続いていて、建物の素材の良さが良いのか、光が美しく見える空間がずっと続く。

川角岳大さん
川角岳大さん

最初の展示室は川角岳大さんだった。川角さんの作品は以前token art centerでの個展「呼吸をとめて」で初めて見た。

Token Art Center (token-artcenter.com)

あの時、車の車窓の風景が印象的で、そののち見た他作家の展示でもなんとなく車の絵が増えたように感じ、彼の絵の影響もあるのではないかと思ったりした。

左の絵は、20世紀前半の日本の画家の絵を思い起こさせる。水墨画などで、同じように急なパースのかかった絵がいくつかあったような気がする。デフォルメ具合もその時代の油絵画家のようにも見えてくる。しかし色使いや画面の繊細さがとても現代的なのがなんだか不思議だ。

右の絵も、白い下地と淡い色彩の重なりが美しい。この黒い鳥の絵はtoken art centerでも似た構図の絵があった気がする。しかし、その時は丸みがあり、今回は右下の翼がガクっと折れ曲がり気持ちいリズムを感じる。

絵を見るための椅子の下にこっそり、川角さんのラフスケッチが貼ってあった。遊び心?が良い。

そして再び澤田華さんの作品。恐らく自身の室内に、プロジェクターで映画を投影しながら移動し、それを撮っている。流れている映像は有名なゾンビ映画だった。

部屋のあちこちが投影されていて、本棚にはこの間僕のブログでも紹介した平山正直さんのニースのDMもあった。

映像をみると部屋の様子が見えなくなり、部屋の様子を見ていると映像が見えなくなる。

媒体=空間が変わってもそこで流れる映像の変化はないが、稀に映像の節目で室内の空間も別の場所に切り替わったりした。映画と室内の空間は全く関係がないのに、どこか影響しあっていた。

シンプルな構造でも、映像とゾンビの関係性についても考えさせられる作品だった。

そして次の部屋へ。

先ほどの作品とは違ってこちらはインスタレーションだ。プロジェクターが複数別々の方向を向き、壁に映像を投影している。

紙影があっちこっちへ

ところどころに紙が垂れさがっていて、紙の表裏でもまた別々の映像が投影され、紙には穴が開いていてまたそこで切り抜かれた映像が壁に映る。そして壁には小さな印刷物なども貼られていて壁面の中で映像以外のメディアまで混ざり合っていく。

自分が見ている映像はどこから投影されたものなのか、紙の上に混ざり合った像は何なのか、わからないけどわからなくなるほど美しく見える。

水面の波間ではところどころが違う角度の面になっていることで、波のそれぞれが別の景色を映し出している。空が映ったり街並みが映ったり、太陽が映ったり。そういう光の屈折の美しさが、映像装置で再現されて実際に見て美しく見えるのがとても良い体験だった。こういうメディアを使ったものは、どこか機械の真新しさやカッコよさに引っ張られてチープに感じてしまうことが多い気がしていたけれど、ここでは純粋に良いと思えた。

そしてその角の空間には、ディスプレにiphoneが表示された作品があった。プロジェクターの光がここまで届いている。

iPhoneの作品も最後まで見た。そして、やっぱりびっくり。さっきとも少し違う。映像は作り物なのに、僕たちがそれを現実として受け取ってしまうこと、それを言葉ではなく体験として突きつけられる。そんな感じがした。

この企画展以外にも、コレクション展もとてもよかったから、また今度別の記事にするつもり。

次の11月末はコレクションに若林奮の作品が並ぶらしい。機会があればまた行きたいと思う。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
展示
スポンサーリンク
スポンサーリンク

コメント

スポンサーリンク
スポンサーリンク